わらしべの里共同保育所見学 その2
続いて、わらしべの里保育所所長の長谷川佳代子氏の方針についての感銘を書きます。
ただし、見学訪問当日は休園日でしたので、園児たちを直接観察していませんのでご了承ください。
長谷川さんのスタンスはこれ。
「子どもの成長を、覗き見る」
語感が悪いので公の場では「覗き見る」とは言わず「見守る」と言い換えているそうですが、感覚そのままで言えば「覗き見る」だけだとのこと。
その真意は、「子どもを信じて、子どもが自らの力量を確かめていく、かみしめていく過程を、ただただ一緒にいること。『見守る』とは上から目線。大人が何かをして育てるという感覚になる。私は、子どもが自ら成長する様子を、こっそり見ている感じ」とのお言葉、がーーーん!どーーーーん!と感激しました。
心のどこかで、「子どもって、もっといろいろ出来るんじゃないか」と思っていた。もっと任せていいのではないかと。それに近いことを、実際に子どもに接している方が信念とされているとは、とても心強い。
配布資料によると、わらしべの里保育所は、そもそも預ける場所も機会もなくて困り果てた子どもとお母さんのために「子どもの居場所としての保育園」を作ったことに始まります。スタートは、自閉症と脳性まひを持った子ども達だったのだけど、障害があろうがなかろうが、その子の存在を認めることが出発点だったとのこと。
さらに資料には、「存在を認められた子どもたちは働き者になる」との一言が。
子どもの存在を認め、子ども自身に成長を任せ、大人は覗き見する程度 という方針による保育の様子をいくつかお話しくださいました。
※「覗き見る」ということは、「完全放任」ではないのですが、いかほど子どもと関わっているのかは今回の訪問では(保育自体がテーマではなかったこともあり)読み切れませんでした。
以下、長谷川さんのお話くださった具体例をお伝えします。
○園にスケジュールはありません。
驚きでした。大人ですら、「お昼休み」が決まっているというのに・・・
園に来たら、誰もが好きなだけ遊びまくる! 園庭で泥遊びしてもいいし、雨の日は園舎内を周遊してもいい。とにかく遊んでいるうちに、お腹が減る。園児たちは給食を待ちわびる。給食が完成したら食べたい人が食べる!
また、遊び尽くしているため午後になれば眠くなる。眠くなればお昼寝をする、という具合。
年長さんくらいになると、給食の食器は軽くゆすいで返却するという芸当ができるそうです。(私は感心しましたが、一般的にできるものかどうかは誰か教えて)
また、古川さんはこのお話を聞いて、3・4・5歳児室から厨房の様子が見えるように設計したとのこと。心ニクイぜ。
そうじの時間も特に決まっていないそうですが、(確か)自主的に子どもらは雑巾を取り出して拭き掃除をするとのこと。
→おそらくコミュニティの出来始めのころは、職員による掃除への誘導や、「雑巾とは掃除用具である」「汚れたら掃除で綺麗にすることができる」という伝達はあったと思うのです。一度園の文化ができると、子どもらの間で「汚れたら掃除をすると綺麗になる」という知識が引き継がれているんじゃないかと想像します。
○園にクラスもありません。
特段分けてはいないようです。
担任もいないわけですが、職員は、園児全員を把握しておくという努力とスキルが必要になるとのこと。
→つまりは、一線を超えた場合には大人が声がけなり何なりで、介入するという意味だと思います。その一線をどこに引いているのかは分かりませんでした。事例から想像するに、一般よりも相当奥に引いていると思います。
○子どもたちが園外に遊びに行きたいと言えば、行かせます。
→これこそ、おそらく、外に行くだけの経験を積んだ子どもなら行かせる、という意味だと思います。今回見学した新園舎の南側は幹線道路で危険なため、そちら側になるべく園児が出ない建物の位置と間取りになっているとのことですから、危険に近づけないという大人としての配慮はゼロではない。でも例えば「川に行ってくる!」と言われれば送り出す とのお話でした。
おそらく、泥遊びなり園外経験なりで、水の怖さを知っている子だと見極めての許可だと思います。また、遠くまで行って迷子になる心配はとも思いますが、前述の通り、お腹が減れば帰ってくるので問題ないと。
聞いた話ですが、ジプシーの子どもは(放浪しているジプシーって、もうあまりいないそうですが)、子どもが親の居場所を常に把握していてはぐれないように気を配りながら、周りで遊ぶんだとのこと。親が移動し始めればついてくるというお話。
必要があれば、子どもが気を配れるんだ!という衝撃の小話でした。
想像の部分が多くなりましたが、とにかくこの園はその方針で回っているわけです。
長谷川さんは力強くおっしゃいました。
「子どもに任せても、ちゃんと秩序は保たれますよ」
うーん 信じがたい。でも信じたい。
そんな気持ちで聞いていました。
もう一つ、印象的なエピソードをご紹介します。
今回見学させてもらった新園舎は、室内の廊下は杉材でできています。旧園舎は檜の床材でした。新園舎に来た子供達は、床材の違いに気づき、「どう扱っていいかわからない」というような様子で、なかなか園舎内に入らなかったとのこと。そのうち、園のアプローチ(縁側のような場所・檜材でできている)と室内のそれぞれに片足を置いて仁王立ちになり、何かを確かめている様子だったと。
それほどに、鋭敏に材の違いを感じ取り、なおかつ扱い方がわからない=いためてはいけないという優しさなのか、または未知への畏れなのかわかりませんが、いずれにせよ「自らのありのままをいきなりぶつけない」という気遣いができるのかと、とても驚きました。
そんなこんなで、感動し感銘受けっぱなしの見学会でした。
企画&誘ってくれたココモリプロジェクトチームに、この場を借りて感謝いた
します。