再びのアベリア襲来[屋台大学]その1

彼女は再び私たちに語りに来てくれた。
(すんごく濃い一部の人に)言わずと知れた、別府になりたい…いやすでに別府そのもになりつつあるのではと思しきアベリア、その人である。

今回も語る語るアベリア。これは実は前談での写真。まだジャブ。


※最初の襲来の記事はこちら:アベリア襲来[屋台大学]

とにかく、強烈で、深く刺さり、考えされられ、鼓舞され、はたまた大きなエネルギーの塊に直面してしまうと嫌でも突きつけられる自分の程度に失望したり、とてもたどり着けないと諦めかけたりもする。

それがアベリアこと安部純子氏である。

今回のキーワードは、「不確か」「何も考えていない」そして「良い子は真似しちゃいけんかもしれん」であった。

あまりの強烈で思うところはたくさんあったが、消化に時間がかかりそうですので、まずはとにかく伝えなきゃと(私が勝手に)思ったことを咄嗟に残しておきます。

■不確か、何も考えない
何も考えないで、確かなことも持たないで、進んでいるというアベリア。
それこそ、丸腰、なんの理論武装も”良い人武装”もなく進んでいるのか、アベリア。
それは、とても恐ろしくて怖くて、できないと私はとっさに思った。
私はどうしても考えてしまう。理由を添えてしまう。説明しないと足元が固まらない気がする。
でもアベリアは「こんな良いことが起きます」「みんなが笑顔になります」というラベルすら貼らない。

(どうしても私は考えちゃうが)丸腰だけに、アベリアが持っているのは真理だけ、その時の刹那の感情だけ、善行も体裁も何も持たない。・・・というように心がけているのか、実際にそうなのか。「アンタ、丸腰じゃないか!」と人によく言われるそうだから、すでに実際にそうなんだろう。

もうアベリアは、別府仙人なのかもしれない。

■キャッシーの愚問と「早さ」
二次会で幸運なことにアベリアの隣の席だったワタクシ、最近苛まれていることに対して、ご意見うかがいました。

キャ「私の近場に、アイデアも出さんと、やたらとコストとリスクばっかり言ってくる人がいるんです。アベリアならどう対応しますかー?」

アベリア「そんなこと言われるより早く、もう動いとる」

ああ愚問でした。そういうことでした。全然次元が違う。そういうことです。
そういうことでした。

かといって、アベリアもきっと初めっからそうだったわけではない。
20年、必死に何かを実現したくて動いて動いて動いて来た結果、言われる前に動くという、それも何も考えないでその動きが実際に出ているわけで、やっぱり仙人のような域にいる。

仙人はねえ、「良い子が気軽に真似したら、まずい」ものでもあるでしょうねえ。
今回のアベリアは、その点をとても気にしていました。

前回アベリアが言ってくれた「川の流れを滞らせる石があったら、少し、角度を変えるように働きかける」という言葉、その続きを今回聞きました
「そうは言うても、その石の角度を0.1ずらすのに、10年かかるかも知らんの。それをやるってことなの」

それをやってきたのがアベリアであり、でも彼女は褒められることを慎重に回避しようとする。
褒められれば嬉しくなってしまう、自分は正しいとか思わず思ってしまいそう、いい気になってしまいそう、そんな想いを持っていたら、伝わるものも伝わらんくなる、自分自身が変な流れになりかねんーーーってことまでアベリア自身は口にしていませんが、そういうことだと思いました。

う〜〜ん、なんかキレイな教訓みたいのにはまとまりませんが、リアルに生身にそういう生き方をしている人がいるということを体験して、うわああぁぁ・・・・・と衝撃を受けている今現在、というのが正直なところです。

アベリアって、すげぇ〜〜なあ〜〜〜〜

補足:「祈る」ということ
今回、アベリアも、その前談に登場したトリリア(鳥居ちゃん)もタミリア(たみちゃん)も、みな「祈る」という言葉を口にした。
これは、ちょっと、気をつけて受け取っってもらった方がいい言葉だと思うので、蛇足なおかつ僭越ながら補足したい。

まあ平たく言うと、「祈る」という言葉からは容易に宗教的なことが連想される。そうなると、「あれ、ちょっとアブナイ系かな」「オーラとか見えちゃう系かな」と警戒する向きもあるのではないかと勝手に危惧してしまう。

だって、現代社会の私たちの暮らしで、祈るってこと、しないでしょう。そりゃあ初詣では祈っているけれど、あれはイベントみたいなもんで、数日前はクリスマスを祝ってたわけだし。まあ、お葬式に行けば、それか墓参りに行けば、祈ってるけど、ねえ。・・・ってのが普通の人の「祈る」感かなと思います。

いやしかし、現代日本で暮らす私もアナタも、大事なところでは祈っているのです。

学生だった頃、合格発表の紙が張り出される時、祈りましたよね?
甲子園で地元校がアウトあと1つで勝てる時、祈りますよね?
家族が手術することになって待っている間、祈りませんか? 子供が熱を出して寝ている時でもいい。治って欲しいと、全然無意味なはずなのに、祈りますね?

必死に真剣に、何かが起きて欲しい時、人事を尽くしてしまった後に、やり尽くしたから、じゃあぼーっとしておこう。というふうに人はできていません。

まったく科学的じゃないけれど、理論的でもないけれど、居ても立っても居られないその想いを、せめて祈りに具現化する。そんな面が誰にでもあると思うのです。

アベリア、トリリア、タミリアは、3人とも常にギリッギリまで人事を尽くしながら、どうしても実現したい!ことに直面しながら生きている。いつだって人事は尽くしに尽くしている。だからこそ、力強さを肌身に感じているところの「祈る」ということだと思うのです。

・・・蛇足な補足でした。