アベリア襲来[屋台大学] その3

■「人は、善いものだと決めた」

引き続き、アベリアの言葉です。

性善説と性悪説 いずれが人か、ということが議論されますが、アベリアは善いものだと考えることに決めた。

アベリアはなんと16歳の時に、このまま別府いや日本にいてもどうしようもない、外に出る!!と決めて、親御さんも反対する中、アメリカへ渡ったという。紆余曲折あって、最終的にニューヨークのメディア関係で(この辺ちょっとうろ覚え)働きつつ、お金もないのでかなり底辺な地区に住んでいたそうだ。

底辺というのは、移民やら違法入国者やらが集まっていて、安い家賃で暮らすことはできる場所。でもかなり厳しい。お金もない、ご飯は満足に食べられない、着るものも十分にない、周りからは冷たい目で見られる。

しかしそんな環境だからこそ、かえって誰かと一緒に励ましあって生きる明るさを感じたという。それと、講演ではほとんど語らなかったけれど想像するに、人の負の部分もたくさん見たんだと思う。

そんな環境でアベリアが一番疑問を持ったのは、ニューヨークの”成功者”側にいる人たちが、その底辺を”ないもの”として扱っていたことだった。見て見ぬふりですらない、存在しないという認識にいること。確かに、見てしまえばつらいことを知っているのだろう、自分の成功を素直に喜べなくなってしまうだろうから。

けれどもアベリアは見えていることを無視できなかった。見えている、そこにいる、そこに人がいるのに見ないで暮らす日々。もんもんとしていたそんな時に、ふと知り合い(アメリカ人)の口から「Beppu」の名前を聞き、「ああ、帰ろう」と思って帰国したとのこと。

やっぱり語る語る語るアベリア

そんな底辺を我が身で体験した上で、「人は善いものだと決めました」と言うアベリア。
その意味に、泣けてきます。

人と人との関係を取り持とうと話しかけた時に、なんだか悪く取られたり、怒られたり、もう来るな!とか言われることもあるでしょう。そういう時に「あれは悪い人だから」という言い訳は一切しない、ということ。信じきる、という意思決定。

そして「決めました」というのは、アベリア自身の行動について決めたわけであって、他人にオススメしているわけではない。アタシこんな良いことやっているから、アナタもそうしなさいよとは、1mmも言わない。自らの裁量の中では、そうします、という宣言。

■「公僕たれ」

これは、アベリアが、尊敬する方から聞いた言葉。
そして、アベリアは体現していると、私は思います。

アベリアの知り合い? マブダチ? には、そうそうたる人たちがいる。
たくさん例が上がったけれど、私がわかったのは、アフリカのマータイさん、ピアニストのアルゲリッチさん。他には、イギリスの文化関係のトップになった方とか。

別府の街角で、小さな1つ1つのコミュニケーションを取り持っているうちに、街全体を盛り上げる企画に話が広がり、企画を進めるうちにつながっていったようだ。

そのような世界で活躍する先輩方のうちの一人から聞いた言葉だそうだ。「公僕たれ」。

で、私が今いる段階では、それはピンとこなかったんですが、感動したのは、「街角の小さな活動をしている人が、文化も習慣も違う土地にもいるらしい、しかもアベリアと気が合う”その手の人”が!!」ということ。

その手の人・・・って言っても怪しい意味じゃありませんよ。平たく言うと”変態の気がある”となって、ますます怪しいのですが笑、変態のくだりはぜひ月刊杉Webの拙文をご覧ください。
>>月刊杉Web111号第四回「杉というソウル」

上記の前の編もご参考までに。
>>月刊杉Web102号 予告編

>>月刊杉Web104号第一回「一家に一台、杉の家具」

>>月刊杉Web106号第二回「杉って・・・何?」

>>月刊杉Web108号第三回「スギダラはもはやスギダラにあらず宣言」

もっと通常の方にも分かりやすい書き方をすれば、アベリアが会の冒頭でも言っていましたが、「理性でも理屈でもないが、とにかく気持ちで動ける人」という意味です。動く根拠は、直感とか第六感とか本能、それともニオイとでも言いましょうか。身体的な人間らしさを第一に動ける人です。

今、世間で活躍しようとすると、どうしても整然とコンセプトを語れることとかが重要ですが、そういう流れとは異なるこっちの本能系でも、これだけ世の中に仲間がいて、それは文化も地域も関係なくて、そして紹介された方々に普通に女性もいたことに、なんだか力づけられました。この道は、続いている!

ちなみに、先日たまたま、イベントのお手伝いでピアニストのアルゲリッチさんを間近で(ほんとに5mくらいのところで)拝見する機会がありましたが、確かに、同じその手のニオイを若干ですが感じました。実際にくさいわけじゃないですよ、そういう雰囲気を感じたのです。

ひとしきり、書きました。これらは全部メモしてません。直接頭に書き込みました。それくら印象深かった。
なんとも書き上げた感じがありますが、その4(つれづれ編)に続きます。