杉知識 その4 「伝統」を考える

杉そのものとは少し離れますが、地域のことを考えるときの頻出単語、”伝統”を考えてみたいと思います。
“伝統”と言えば、 「伝統を守ろう!」「これは、伝統的工法で作られたものです」「伝統的な風習を守り伝えて行かねばなりません」 などの文脈で語れることが多いものですよね。

そう言われると、「ははーーーっ 大事にします」と低姿勢になっちゃったり、「僕は守りません!」とでも口にすればまるで自分が悪人であるかのような気持ちになっちゃったりしませんか? 少なくとも私は、そういう有無を言わせぬプレッシャーを感じます。 でも、伝統の正体って何だ!? と考えてみたいと思います。

私は、「伝統」の中の2つの側面に注目したいです。
1つ目:膨大な試行錯誤を経て作り上げられた技術や知恵のこと
2つ目:”地域”や”人々”と密着に関わっているがゆえに、コミュニティの共通項になるもの

あいかわらず、固苦しくて申し訳ないですが、そうやって考えると納得感があるのです。

1つ目については、
例えば、ある素材を、何かしらの使い方をしたとして、100年後の耐久性は100年しないと分からないわけです。また、土地土地の微妙な違い(気候や土質、人の気質など)に適した道具を作っていくには、微妙な修正が山ほどいるんだと思います。薬や食べ物などが人にとって害になるかどうかについても、長い年月の多くの人たちの経験の上に、知恵が作られる。

そういうことの総称としての、「伝統」。

そういう素材や道具や知恵は、八方に良いもののような気がします。
人に良い・使うに良い・持ちが良い・壊れても直しやすい・素材が手に入りやすい・環境に良い(汚染しない)・・・他にも、自分たちで作れるとか、自分たちで守って行けるとか。

2つ目については、
私は、1つ目に書いたようなものに加え、祭やら伝統食やら伝統文化は、その地区に住む人たちの共有の物事になり得るから必要だ、と思います。 その地区に住んでいる人(住んでいなくても、関わっている人)達の間で、共通の話題になるもの。

例えば、地域の最小単位の家族について考えてみます。
家族とは、実は、世代も性別も職業も興味も、てんでバラバラです。 そうすると、実感として「共通の話題が全然ない」と思うことはありませんか?  私はよく感じます。

でも、ときどき共通の話題があります。 明日はひどい雨らしいとか、いつも家の周りをうろついている野良猫の噂話とか、今日は燃えるゴミの日だとか、 車の保険は家族割引にしようとか。 とにかく、共通の話題とは、家族全員に”ほとんど強制的に”関わってくる物事です。もちろん、冠婚葬祭も。

それらを、家族から地域に拡大したものが、地域の祭や食やら文化だと思うのです。

便利になった最近は、物理的に近いからといって、近所の人と特に関わりを持たなくてもすむようになりました。だから、知らない人同士という関係でスルーしていても問題ないようにも思いますが、やっぱり人間、隣の人とは折り合いよく過ごしたいし、もしもの時にはどうしてもすぐ近くの人に頼ることになるし、ねえ。

でもきっかけがないのよねえ・・・というときに、「伝統」が一役買うんじゃないかと思うのです。ちなみに浜松は、来週お祭ですが、明らかに話題沸騰、老いも若きも祭。「なんで祭だからってそんなに楽しそうなの?」「だって祭だもん!!」という、理由なき衝動っていいと思うんですよね。