内藤さんシンポジウム1

去る2009年12月初旬に、内藤廣さんをお呼びしての建築士会のシンポジウムがありました。父(マッシー)が建築士のため御案内を頂き、何の疑問も持たず会社を休んで拝聴しにあがりました(平日午後だったので)。

行ってびっくり。
世の中で、建築界の大御所・東大の先生として羨望のまなざしで見られている内藤さんは、なんのことはない、単なる”おもしろ建築やくざ”だったのです。てっきり、スギダラと関わるときだけスギダラ的ノリに押されて、少年のようなにこにこ顔になっているのだと思っていましたが、ただただ、それが内藤さんの地だったようです。そりゃ面白いわけだ。ひたすら2時間、親近感をひしひしと感じてきました。

内容は、日向市駅+夢授業。ど真ん中スギダラです。
それも、大変に意外なことでした。建築士会のシンポジウムだから、門外漢・キャッシーには難解かな?という予想は全く外れ、スギダラど真ん中、富高小メンバーとの感動を私にも言わせて!というくらいに主体的に聞くことができました。逆に、一般建築士のみなさんはどう感じたんでしょう・・感想をインタビューしてくればよかった。あの授業の時、私はスギダラ3兄弟の後ろのポジションで関わったわけですが、内藤さんのポジションからのお話は、また興味深いものでした。

全体を通して気になった点(いまだに気になっている点)を2つ。

1つ目は、内藤さんが最近感じているという「待つ」という考え。「待っている」例としては、「静岡県民は東海沖地震を待っているでしょ? もはや『備える』ではないでしょ?」とのこと。 うーん、確かに。先の夏の震度6の後、周囲に感想を聞くと「ついに来たと思った」「でもこんなもんじゃないと思った」「こんなもんじゃない、東海沖は。」・・異口同音にみな言ったものです。確かに、もはや能動的に待っているのかも。
別の例としては、「京都という街は、待っているように感じる」。うーむ、そうですか・・・。キャッシーにはまだ理解できませんでした。新建築に記事を書かれるそうなので、読みます。

2つ目は、内藤さんがこのシンポジウムでお話しされたことは、おそらく、「この日のために用意したネタ」ではなく、「日々思っていること・考えていることの最新の状態をその場で話している(話すことによりまた内容は進化していく)」という感じじゃなかったかなと思いました。シンポジウムのタイトルは「ハコモノを超える」で、1ヶ月以上前にそのタイトルが刷られたチラシが手元にあったように思います。1ヶ月のタイムラグがあり、つまりその間進化し続けた思想ながら、テーマである「ハコモノを超える」はブレなかった。うーん どの辺りを見て進めば、そういう動きができるんですかねえ・・

さて、だいぶ抽象的な話になってしまいましたが・・ その2では、具体的な内容をお伝えします。