第一回木育・森育楽会

行ってきました、木育楽会!

2点レポートします!

■木育とは何か
そう。これが一番知りたかった。

私個人は、直感的本能的に、「木っていいよね!」となりいろいろ関わっていますが、他人に説明できない・説得できないということを感じていました。「木育の定義とは?」というカタいテーマを自ら掲げ、分科会3に臨みました。

とても面白かった!

冒頭に、コーディネーターの馬場さんから、「木育=木がある空間/おもちゃ/環境+α」とのテーマが提示されました。

大きくうなずきました。
そうなんですよね、単に、空間に木を使う・木のおもちゃがあるだけでは、木の空間と木のおもちゃがあるだけであって、わざわざ木育と呼ばなくてもいい。そうだ、もう一歩何かがある という定義をいただき、すでにとても納得でした。

3人の実地に活動している方々からは「愛着」「物語」などを+αだという意見が述べられました。

そうだそうだ!

私なりの解釈では、「木に本人が接するだけでなく、木について”自分ごと”と思えるようになること。さらには、他者にそれを語れるようになること」ができると、「木育された人」になるのかなと、思いました。
そのためには、気づきを促す仕掛けや声掛けや語りかけなどが必要になる。

なるほどなるほど。

もう1つ、コーディネーター馬場さんが3人のパネラー全員に聞いていたこの質問!
「それって、プラスチックじゃだめなんですか?」

これもきっちり説明できるようになりたい点です!!! まさにそこなんだよ! 馬場さんサイコー!

木は何がいいか・・・を書き出してみます。

まずは五感で感じられますね。
・視覚:見た目に美しい。キャッシー的表現で言えば、見た目の情報量が多くて見飽きない。20年30年という歳月をかけて、春夏秋冬を過ごして1つ1つの細胞が生まれ成長して定着していくだけの情報がそこにはあります。
おもちゃ美術館の石井さん曰く「床の杉の無垢材の節がとっても気になるみたいで、全速力のハイハイで進んでた子が急に止まって見入っていたりする」そうです。1つとして同じものはなく、また、経年変化も、味のある感じになる(“劣化”なる場合もありますが)。

・触覚:触って心地いい。特に無垢のものは気持ちいいですよねえ〜 これはもう本能としか言えないかなあ。
視覚と同様に、硬さ柔らかさについても情報量が多いので、触り飽きないってところもあるかな。

・味覚:舐めてもうまい。「赤ちゃん木育広場」では、無垢の木のおもちゃを口で確かめる赤ちゃんたち(これもきっと本能)。私はまだトライしてないので味は知りませんが、香りから察するに、樹種でそれぞれ味も違うと思います。

・嗅覚:香りがします。特にスギとヒノキはよく香りますね。広葉樹はあまり香らない印象があるけれどどうなのかしら?

・聴覚:音も違う。いい音がします。いいか悪いかは主観ですが、耳障りな音ではないと思う。木琴があるくらいですからね。また、木の1つ1つが違うから、違う音がするわけです。

そしてこの五感で味わえる楽しみは、別に人間のためにそう作られたのではなくて、太古から木が生きるために進化させてきた機能美そのものなんでしょうね。

さらに、近隣で(少なくとも国内で)生まれ育った材というのは、親近感を持ちやすい。東京の真ん中で「これは天竜材ですよ」と言われればどうしたって愛着がわきます。また、これはみほちゃん(友人)が伐った木ですよと言われれば、もっと親しみがわきます。

対して、プラスチックはどうか。
文脈がそもそも「プラスチックでは良くない」という方向なので恐縮ですが、まとめると、あっという間に整形されたそれは情報量が少なく、人間が企画した商品としての存在であって、存在そのもので楽しむにはちょっと足りないんだと思います。
その分大量に一気に作れて行き渡らせることができるのがいい点で、こうやってざーっと世の中に普及し、機能を提供しているわけです。

「機能だけでは味気ないことに気づいてしまった」のが木育の機運なのかなと思います。

道具そのものにすら愛着を持って暮らすことの豊かさに気づいてしまった。素通りではなく、その物を五感で感じ、その性質や背景も知って、さらには「これは私に属しているものだ」という気持ち=愛着も芽生えてほしい ということだと思います。

そしてこれは次の大人の木育にも共通するテーマです。

■「大人の」木育
大人の・・・って、あやしい意味ではありませんよ笑

木の良さを伝えてくのが普通の木育(対象は主に子供)だとすれば、「仕事に木を取り入れていく」ことが「大人の木育」だと私は考えました。そんなお話をしたのが、スギダラJR九州チームでした。

別にプライベートで好きにやればいいのに、なぜ「仕事」に木を取り入れたいのか? 
まあ、日中の大半をお仕事に時間を割いている立場の人も多いわけだし、仕事に木を取り入れるのは影響力が多し、何より 楽しいから! 取り入れて仕事も楽しくなればいいよね! もうそれだけ!

こちらも同じで、大量生産・経済優先・普及優先で、とにかく機能条件を満たすものを普及させることが命題だったのですが、実際に機能だけが提供された物品たちが周りにあふれた状態になってみたら、けっこうつまらなくて、つらいことが分かったわけですね。

もうちょっと楽しめるものが存在しててもいいんじゃないか? 余白があっても、役に立たないものがあっても、いいんじゃないか? 詳しくはスギダラ活動に関わっていただければと思いますが、スギダラ的愛着楽しさ余白満載な活動を、どうやって効率重視の会社組織で実現させたのか、というお話でした。

そのエッセンスだけ書きますと、
・自分の裁量の範囲でとにかくやる!(超ささやかなことでもいい!)
・いいものを作り続ける!(ここが勝負!)
・しつこくやり続け言い続ける!(数年単位のしつこさ!)
でやっていると、白い目だった周りも、まああいつはあ
あいう奴だからと受け入れて(あきらめて)黙認してくれたり、遠くにいる興味ある輩まで噂が届いて声かけてきたりと、少しずつ影響が広がり、5年とか10年の単位で浸透する実例としての、JR九州「日向市駅」とその後の活動のお話でした。

もともとそのような社風だったのかは分からないですが、JR九州という組織が、もうこの「愛着」に目覚めています。

だからこその「ななつぼし」であり(豪華寝台列車を作っただけでななく、乗員から停車地の人々が意思をもって「おもてなし」に携わっている)、2011年の九州新幹線の開通時に新幹線に向かって手を振ろうキャンペーンに15,000人の市民が参加したのであり(Youtubeで見れます)、最近では、九州管内で事故が発生した際に、乗客の避難誘導などを地元住民が自ら行ってくれ、お礼に訪れた社長に対し「いやあ、JR九州さんは身内やけん、当たり前さ」とおっしゃる。

効率では起きないことが起きるわけです。
とはいえ、大きな成果も最初は自分の裁量でできる微細なことから始まる。

子供への木育も、社会で木育的なことを行うことも、まあ同じことなんですね。
そんな木育学会でした!